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●1⇒50(50話)


2000年頃に作った「話のタネ」50話を一挙掲載!はブライダルに使えます。

No タイトル 本        文 ジャンル 婚礼用
1 声かけという肥料 園芸、畜産、農業など生きものを育てる仕事をしている人の中には、
名人とか達人と呼ばれるほど育て方がうまい人がいます。
同じ種をまいたのに、なぜあんなに見事に育つのか不思議です。
そうした人たちに共通して言えることは、
まず、暇さえあればほ場や畜舎へ行き、
生きものといっしょに過ごす時間が長いこと。
そして肥料をあげたり掃除をしたりはもちろん、
「寒くないかい?」「もうすぐ春だよ」などと
たえず声をかけて相手を思いやっています。
この声かけこそ肥(こえ)かけ、だれもまねのできない特別な肥料なのです
人生訓
2 結びは、はじまり 糸へんに吉と書いて「結ぶ」。
結末、結果、結論、
あるいは結びの一番ということばがあるように、
ものごとの終わりを意味します。
どうせなら、吉で終わる(ハッピーエンド)方がいいですね。
さて、立川昭二氏の『からだことば』という本によると、
「むす」という動詞は「生す」と書き、
生まれてくるという意味があるとか。
息子は「生す子」、娘は「生す女」であって生命が誕生すること。
結ばれることで、新しい命が生まれていくのです。
ことば
3 地球の七色リボン 雨上がりの空に架かった七色の虹を見上げると
ほとんどの人が、何かいいことあるのかな?
と、ちょっぴり幸せな気分にひたることでしょう。
歌や物語の中にも、虹は夢や希望の象徴としてあらわれます。
  小さなリリーは、初めて虹を見てびっくり。
  「あれは、なんの広告なの?」
ドイツ・ジョーク集よりひろったフレーズをヒントに、
世界中のネットにつながっているパソコンに、
七色の虹を描いて、すべてをリンクさせたら・・・
地球も、ちょっぴり微笑むかもしれません。
自然
4 心を弾ませることば ランプ、リズム、ルビー、レリーフ、ロザリオ・・・
ここにあげたものはラ行(ラリルレロ)で始まります。
ラ行の音というのは、昔の日本語(和語)には少なかったらしく、
時代とともに中国あたりから入ってくると、
耳慣れない音だけに、妙に耳に残ったといいます。
意味から連想する部分も大きいのですが、上に並べた単語も
エキゾチックで、どこかミステリアスな響きを持っています。
また、ラ行の音は心を弾ませるくれる弾音と言われ、
ランランラン、リンリンリン、ルンルンルンなど
明るく、楽しく、心を陽気にさせてくれることばでもあります。
ことば
5 耳で知る愛 「ピピッ!」という電子音が、いろんなことを教えてくれます。
ごはんが炊けたよピピッ!洗濯すんだよピ~ピ~ピ~・・・
人がたくさん集まる場所で、ケイタイの着信音が鳴ると
みんな一斉に自分のケイタイへ手が伸びるというシーンも。
電気が今ほど暮らしに密着していなかった頃、
人の手作業から発生する音で状況を思い描くことができました。
しかも、その音は愛の深ささえも伝えてくれたのです。
例えば、向田邦子さんのエッセーには、床についてふと目覚めると
母親が子どものために茶の間で鉛筆を削ってくれた
その音にやさしく深い愛を感じたことがつづられています
暮らし
6 ボランティアって・・・ 暗黙の了解というか、その場の状況によって
やってはいけないことがあります。
例えば、お笑い芸人は客席に笑いや拍手を強要することはタブーなのです。
しかし、持ちネタがつきると十年来くりかえしているギャグの後で、
「前から5番目の人、ご不幸でもあったんですか」と
露骨に笑いをとろうとしている芸人さんがいます。
それと同様に、最近気になるのが「ボランティア募集」のお知らせ。
ボランティアというのは他人の不幸や惨状に、
なんとか自分の力を貸したいという、自発的でひたむきな思いなのに、
”募集”といわれると、ちょっと二の足を踏んでしまいます
社会
7 背中は語る 後ろ向きの写真を持っていくだけで、
写真に映った人物の性別・年齢・職業はもちろん
性格やその人がたどってき歴史までわかる占い師がいました。
背中は大切な役目を果たしているものの、
どんな格好をしても、自分の目でじかに見ることはできません。
プリプリ怒って今にも暴れ出しそうな背中、
疲れ果ててしょんぼりと丸まってしまった背中・・・
背中はその人の人生を雄弁に語ってくれます。
腹に一物、背中に荷物
よからぬことを考えていると、重い荷物になってのしかかりますよ。
人間
8 シェーカーの家具 シェーカーの家具というのをご存知でしょうか。
「美は有用に宿る」という思想のもとに、
使い勝手の良さだけを追い求めていったこの家具には、
まさに美が宿ったのです。
ごてごてした装飾はいらない。
使わないような機能は盛り込まない。
贅肉をそぎおとした長距離ランナーではなく、
たえず長い距離を走り続けることでカモシカのような肉体と化していく。
「千年を生きるつもりで、そして明日死ぬつもりで仕事をしなさい。」
シェーカーの家具を作り続けた人々の言葉です。
人生訓
9 開拓者魂をもつ植物 先駆者とか開拓者というのは、
未知の世界へたった一人でぶつかっていくわけですから、
相当の勇気と不屈の意志をそなえていなければなりません。
ここに居れば飢えることも身を危険にさらすこともないのに、
ひたすらに、ひたむきに信じた道を進んでいく。
それは、なにも人間の世界だけではなく、
植物にもそうしたフロンティアスピリッツをもった種がいます。
コマ草ー高山植物のプリンセスと呼ばれる愛らしいこの花は、
草花が一本も生えていないところにポツンと移住し、
雨にも風にも負けず、根を張り花を咲かせ、
他の植物がそこへやってくると、また孤独の旅へ出るのです。
植物
10 減ると立つものは? 人間はじめ生きものは、水や食事を
定期的にとらないことには生きていけません。
おなかが空いた状態だと集中力はなくなるし、
ちょっとしたことにもイライラしがちです。
映画やテレビのドラマには食事のシーンがよくでてきますが、
言い争いや喧嘩が始まるのは、
たいてい、さあみんなで食事をはじめようという場面が多いようです。
おなかが満ちて、コーヒーやデザートをいただいている時に、
お互いがののしり合っているというのは生理にかなっていません。
よって、タイトルに記したなぞかけの答えは”おなか”ということになりますね。
暮らし
11 不埒な狼 支配者は、人や生きものを柵の中に囲いたがります。
「あの不埒(ふらち)な奴!」というのは、
道にそむいている人間のことです。
埒(らち)とは囲いのことで、そこから飛び出ているのが不埒。
さて、あるところで、飢えた狼が太った犬に出会いました。
「お前はいいなあ。飼い主にかわいがられて、
食べ物や飲み物、それに寝るところの心配もいらないし。」
そう言って狼が犬に近づくと、だぶついた犬の首のあたりに首輪の跡が。
それを見た狼は、青くなって逃げ出したとのこと。
埒内がいいのか、はたまた、埒外がいいのか・・・
動物
12 お風呂はごちそう お部屋を借りるならバス付きでなきゃだめ!という人が増え、
銭湯の利用者は年々減ってきています。
一戸建て住宅の場合はほとんどが風呂付きですが、
ずっと昔は、風呂付きの家なんてよほど裕福でないと望めません。
風呂をわかして、親しい友や親類を招き、
入浴後は酒や茶の湯、ごちそうをふるまってもてなしたと、
室町時代の記録に残っています。
そうした名残なのでしょうか、
今でも、よその家でもらい湯をする時には、
「お風呂をいただきます」というあいさつをしています。
暮らし
13 練習を怠ると・・・ あんな球、絶対投げられない、あんな技、どうやったらできるの?
プロスポーツの選手の中でも、飛び抜けた才能の持ち主がいます。
どんな競技でも人より抜きん出るためには、日々の努力が必要です。
なかには練習が楽しくてしょうがないという人もいるでしょうが、
一般的には練習は単調だし、快感よりも苦痛を強いられます。
ピアニスト宰相として知られるパデレフスキはこう語っています。
 練習を一日休むと、自分にわかる。
 二日休むと、批評家にわかる。
 三日休むと、聴衆にわかる。
バデレフスキはポーランド第二共和国の第3代首相を務めました。
人生訓
14 目とどきの安心 いつも自分がいる場所を確認しておきたい
というのが、人間の本能的な欲求としてあるそうです。
ですから、初めて入った巨大なビルや地下街では、
全体の中のどこらへんにいるのかがつかめなくなり、
圧迫感や不安をいだくということがあります。
桂離宮に代表される日本の伝統的な建物は、
格子戸や生垣、中庭越しに建物が見えるように配置されています。
いわゆる”目とどきの安心”という心づかいがあるのです。
壁やドアでお互いを完ぺきに閉ざしてしまうのではなく、
相手が居ることを確認し合うことでの安心、とても大切な気がします。
暮らし
15 声の表情 名前を呼ばれた時の返事一つとっても、人それぞれです。
「ハイッ!」と元気良く大きな声がかえってくるものもあれば、
「ハ~イ」と間が伸びたものや、今にも消え入りそうな声もあります。
今の自分を記録に残しておきたい時、
カメラ等を使って、姿・形といったビジュアルを撮る場合がほとんどです。
そこで、たまには小型のボイスレコーダーをしのばせて
日記代わりに毎日の音の記録をとり続けたらどうだろう。
声とともにあの日あの時の情景がよみがえり、
スピーカーから流れる声の表情に耳を澄ませば、
自分がどんな心の状態だったのか客観的に知ることができそうです。
暮らし
16 ありがとう ありがとうという言葉は「有り難い」つまり、めったにないという意味です。
「本当にこんなにめでたい幸福なできごとは、
一生を通じてもう二度とはないでしょう」という、
深い喜びと感謝の表明なのです。
英語ではサンキューですが、音の響きだけでいうと、
ペコリンと頭を下げた程度のややカルーイ感じがします。
その点、深々と頭を下げ、両手をついて
「ありがとうございます」と言われると、
なんだかとってもいいことをしてあげたんだなという気持ちになるものです。
"ありがとう"の五文字には、まごころがいっぱいつまっています。
ことば
17 光の中へ・・・ 寒かったり、暑かったり、暗かったり、明るかったり・・・
人はいろんな環境にうまく適応できる生きものです。
そうは言っても、私たちは真っ暗な闇の中でじっとしているよりも、
明るい陽射しを浴びていた方が、気も心も晴れ晴れします。
おひさまの光は生きものにとってとても大事で、
とりわけ犬を育てる時に、生まれてから2~6週目は
できるだけ光の中へ引っ張り出しさわりまくった方がいいと言います。
その時期に暗い岩穴や犬小屋の中で育つと、
人が手をさしのべようものならウ~ッとうなる狼みたいな犬になるとか。
人も、犬も、生きとしいけるものは、さあ、光の中へ・・・
動物
18 コアラの不思議 ぬいぐるみのようにかわいらしいコアラの大好物はユーカリの葉。
コアラのふるさとオーストラリアにはユーカリがたくさん生えているものの、
他の動物たちは見向きもしないらしい。
なぜなら、ユーカリの種類によっては毒物であるシアンが含まれ、
下手をすると命取りになってしまうのです。
コアラは、まずユーカリの葉の葉先ではなく柄の部分を噛む。
そして、一瞬あごの動きを止め毒見でもするかのような間があってから
バリバリと口の中へ運んでいくと言います。
フグの肝を食べるような極めて危険と隣り合わせの食事シーンですが、
コアラにとっては至福のひとときなのであります。
動物
19 居ねむりの安心 ぽかぽか陽気にさそわれて、いつの間にかこっくり、こっくり
春ほど居ねむりが似合う季節はないのかもしれません。
この居ねむりというこらえがたい快感は、場所を選ばない。
他人に寝顔を見せたくないとおっしゃる方が、
電車の中で、前へ後ろへ左へ右へと舟をこいでいることも。
舟の両脇の方に波しぶきがかかるかもしれませんが、
つかの間の幸せを享受する姿は、どこか微笑ましく感じます。
公衆の面前においては、五感をビリビリさせながら
身に迫る危険に神経をとがらしておかないと安心できない国もあるのに、
睡魔のなすがままに眠れる幸せが、この国にはあるのです。
社会
20 愛は千里を越えて 越冬に来たツルたちが春の訪れを感じ、北の大地へと旅立っていきます。
ツルは雌雄つがいで行動を共にし、仲がいいことから
比翼の鳥に例えられることもあります。
ある年の春、ツルの一団が北帰行の日を心待ちにしていました。
その中にひと組の夫婦が含まれていましたが、
夫は負傷し、とても飛び立てる状態ではありません。
妻は甲斐々しく看病するものの、出発の日がどんどん近づいてきます。
後ろ髪引かれる思いで、妻は夫の上を旋回し北へ向かいました。
しかし、その秋、越冬に来た第一陣に先駆けて
一羽のツルが夫のそばに降り立ったと言います。
動物
21 横になって食べた時代 飽食の時代と言われて久しい。
日本の食糧自給率をにらみながら、
いつ起きても不思議ではない食糧危機を心配する人もいます。
食べ散らかしたという表現でしか語れないような
パーティやレストランでの食べ残しの光景を目にしたとき、
心いためるのは料理を作った調理人だけでしょうか。
戦後、シベリア抑留を強いられた人の回想録に、
”横になって食うと、パンが胃袋に着くまで時間がかかるからいい”
と記されていました。
口に入ったものが胃袋へ着くまでの時間、感じたことありますか?
歴史
22 文化と文明のちがい 手を使う、足を使う、頭を使うことが面倒だから機械にお願い!
ということで、人間にとって便利なものが開発されてきました。
自動販売機というのは、まさに販売員代わりで、
早出残業はもちろんのこと、深夜労働もいとわずやってくれます。
全国津々浦々どこへ行っても自動販売機はたたずんでいます。
外国帰りの人が、田舎道に煌々と灯りがともる自動販売機を見て、
日本って、ほんと安全な国だと実感したとか。
でも、ある方はこんなことを語っていました。
かわいい娘が店番しているところで買うのは文化、
自動販売機にコインじゃらじゃら入れるのは文明なんだよな。
社会
23 愛は心を配ること 大切なものをしまっておくと、
喜びがふくらむとともに、不安もどんどんつのってきます。
もしかして、この大切なものをだれかに盗まれはしないだろうか、
火事になって燃えてしまったらどうしよう・・・
気になりだすと、手元に引き寄せ、中味を何度も何度も確認します。
それほど、あなたを心配性にさせるのは、あなたの愛着が強いから。
鳥の巣を、そ~っとのぞいてごらんなさい。
エサを運んできた親鳥は、ヒナたちに口移しで与えると、
外の様子を注意深くうかがい、飛び立ったと思いきや
巣の安全をしっかり確かめてから、エサとりに向かいます。
愛情
24 無言の教育 卒業式、送別会など、三月は別れの季節でもあります。
悲喜こもごもの思いを胸に、友や同僚が新天地へと旅立っていきます。
大工さんや左官さんなど職人の世界では、
秘伝や奥義などむずかしい技術は、習うのではなく盗むもの。
そうして弟子が一人前になり、独立を決意すると、
親方は自分が使っている道具より上等のものを与えた
ということを、薬師寺宮大工棟梁だった故西岡常一さんが語っています。
親方は自分より劣る道具であれだけの仕事をしているのに、
こんなにいい道具でできないわけはない、と弟子は自分を鼓舞する。
これが、無言の教育です。
教育
25 八文字のメッセージ 希望に満ちあふれた誕生があれば、燃えつきていく命もあります。
そして、誕生や終焉に立ち会う時、
神様や仏様の力に頼ることなく、人は最も素直になれるのかもしれません。
新聞だったか雑誌だったか記憶がはっきりしませんが、
都会で働く息子の元へ届いた訃報の話です。
電報には「チチシスカエルナ」とありました。
都会の荒波にもまれながら一生懸命がんばっている息子への
父の最後の心づかいなのでしょうか。
わずか八文字のメッセージですが、
言葉の奥から、親と子の強い絆や深い愛情が伝わってきます。
ことば
26 糸と人生 いつ切れてもおかしくないような細い一本の糸。
やがて、赤い糸となって、
もう一本の赤い糸と出会い、結ばれていきます。
二本の糸は強そうに見えるけれど、
からまったり、もつれてしまうこともあります。
「絆」という字は、糸へんに半。
つまり、お互いが糸の半分ずつを持っているのです。
できるものなら、糸の横にいつも「吉」をおいて、
もちつ、もたれつで、ずっと結ばれていたい。
「色」とか「冬」をおいてしまうと、プツンと切れてしまいます。
愛情
27 きっと元気になる あたりまえのことを、あたりまえすぎるほど、あたりまえに、
描いたり、書いたりするから、子どもの絵や作文はおもしろい。
先日、ある作文集を読んでいたら、こんな詩に出会いました。
友だちが盲腸で入院してしまったので、
A君はお見舞いに、自分の声を吹き込んだテープを送ることにしました。
ぼくはさびしいけど、きみもがんばれと語りかけた後に、
   「もうちょう、なおして、おならをしてください」
これで入院した友だちもきっと元気づくだろうと結んであります。
どんな名医の執刀や、やさしい看護婦さんの看護より、
このA君のテープほど、友だちを勇気づけるものはないだろうなあ。
愛情
28 箸と箸の間には ずっと昔に、ある洋酒メーカーが”二本箸作戦”というのを展開しました。
洋酒をバー、キャバレーという洋風居酒屋だけではなく、
寿司屋さんや割烹などの日本料理店にも置いてもらおう
というのが狙いだったとか。
お品書きの横の棚に並んだ琥珀色のウィスキーのボトル。
”だるま”なんて愛称のボトルがあったりして、
そんな呼び名もまた、二本箸作戦の一環だったのでしょうか。
ところで、この箸はもともと神にケガレのないものを供えるための
祭器として生まれ、「生命の杖」とか「礼儀の標」などと説く人もいます。
対になっている箸と箸の間には、味わい深い思想が横たわっているのです。
暮らし
29 スリムな情報 ものごとに対して、すべて理詰めでキチッとやっていくよりも、
多少アバウトな部分があった方がうまくいく。
車のハンドルのあそびと同じかな、という話をよく耳にします。
たしかに、すべてを杓子定規ではかったようにするということは、
すごく神経をすり減らすし、肉体的にも疲れてしまいます。
情報の伝達についても、あそびは大切だそうで、
会話を一言たりとも聞き漏らさないようにするよりは、
聞き落としていく方が正確かつスピーディに伝わるとか。
聞き上手という人は、ムダな話をうまく聞き落として、
情報をスリムにしている人なのかもしれません。
暮らし
30 森に宿るもの ”この山は、一日に七回化粧します”
といった文章で、山の美しさをたたえることがあります。
日が昇り始める頃から暮れなずむまで、山と向き合っていると、
その表情は、絵の具が何色あっても足りないほど豊かです。
深い森をいだいた山々が青っぽく見えるのは、
清々しい香りの成分であるフィトンチッドが立ちのぼるから。
森の中で思索にふけったゲーテや、曲想を練ったヴェートーベン。
森の精気は、創造のこやしでもあったのです。
文明の前には森があり、
文明の後には砂漠が残るとも言います。
自然
31 からだの要 相撲や柔道など日本の伝統的な武道では、腰の鍛錬を重んじます。
武道に限らず、能や歌舞伎の所作においても
腰の使い方を重視してきました。
本気になるとか、覚悟を決めて取りかかる時に、
「本腰を入れて」などと言い、
粘り強いは腰が強い、意気地がないのは腰が弱い、
態度が横柄なのは腰が高い、謙虚なことを腰が低い、
というように、ベルト付近が心意気や態度をはかるモノサシなのです。
昔の日本人は農耕民族で菜食主義、
よって、胴長短足で腰を据えることを理想としたのでありましょう。
人間
32 最も大切なもの 恋人かもしれない、家族かもしれない、
パソコンかもしれない、かわいいペットなのかもしれない。
あなたが「人生で最も大切なものは何か?」
と問われた時に答えるものは。
戦国武将が割拠し、親兄弟を殺してまでも天下をとろうとした動乱期に、
徳川家康はいくども死と隣り合わせになりながらも、しぶとく勝ち残り、
徳川幕府という強大な武家政権によって日本を統一した。
五文字で言えば「上を見るな」
七文字で言えば「身のほどを知れ」
この十二文字が、家康七十四年の生涯で最も大切にしたものである。
人生訓
33 人と人の距離 男性と女性が出会い、お互い惹かれていった。
手をつなぎ、頬を寄せ、唇を重ねと
愛するふたりの距離はどんどん短くなってきます。
それとは逆に、どうしても好きになれない人とは、
顔を合わすのはもちろん、同じ場所にいることさえ苦痛を感じます。
磁石が反発しあうかのように、距離はどんどん遠ざかっていきます。
好き嫌いとは関係なく、あらかじめ決められているのが相撲の仕切り線。
一メートルにも満たない距離をおいて、屈強な男同士が、
相手に礼を尽くしながらも、徐々に闘争心を高めていき
仕切り線を越えた時、お互いが土俵の鬼と化して相手を倒しにいくのです。
スポーツ
34 出だしのひとこと 行動を起こしたり、話を始める時の出だしは、なかなかむずかしい。
とりわけ、手紙を書くのに最初の一行が出ないばかりに、
何日も何日もほったらかしになるなんてこともあります。
「拝啓、桜の季節となりましたが・・・」でもいいのだろうが、
もっと親身なことば、素直な表現はないかと考えると、筆が進まなくなる。
”最初にいちばん大事なことをバ~ンと書きなさい”
とある文学者は指南する。
知り合いの方からおみやげをいただいたお礼の手紙の出だしは、
「もらった、もらった」である。そして、「ありがた山のほととぎす」と続いている。
凡人には、こうは書けない。やっぱり出だしはむずかしい。
ことば
35 サイクリングの風景 ずいぶん少なくなりましたが、たまにサイクリングを楽しむ若者を目にします。
ドライブだと、じっくりみたい風景も瞬時に後方へ飛んでしまい、
ヒッチハイクでは、なかなか変わってくれない景色が退屈になるのに、
自転車のスピードなら、わき見しながらでもこいでいけます。
また、自分の力をペダルを通してタイヤに伝えるという
自転車との一体感が、サイクリングの喜びを増幅してくれます。
しかし、なにもさえぎるものがない一本道を風に向かって
黙々とこいでいく時のつらさや
とてもペダルを踏めないほどの急坂を押していく時のきつさ。
その時に流した汗のぶんだけ、出会った風景は輝くのです。
暮らし
36 神様がくれた答案用紙 自殺願望の中年男性に、老人がこう語る。
「自分も若い頃にいやなことがあって、
 桑の木にロープをかけて首をくくろうとした。
 ところが木にたわわになっている桑の実をもいで口にしたらおいしい。
 もう一個食べたらやっぱりおいしい。
 どんどん桑の実を食べているうち、自殺するのが馬鹿馬鹿しくなって、
 その実を家へ持ち帰り妻といっしょに食べた」
この話で、男は生きることへの意欲をとりもどす。
自殺とは淀川長治さんの言葉では「神様がくれた答案用紙を破く」こと。
満点をとる必要はない。答案用紙と真剣に向かい合うことに価値がある。
人生訓
37 時期尚早 新しいことを始める際には、いろいろな障害が出てきます。
とりわけ、組織の中にあっては、全員の賛同を取り付けるのがむずかしい。
新しい事業について説明し、意見を求めると、
「いずれそうしないといけないのはわかるけれど、ちょっと時期尚早だね。」
「ちょっと、そういうのは前例がないから・・・」といった意見が出る。
Jリーグ発足の際もそんな声が挙がったという。
「時期尚早という人は、百年たっても同じことを言っている!」
憤然と椅子を蹴って、今Jリーグ立ち上げの必要性を説いたのは、
現在のJリーグチェアマン川渕三郎氏だった。
あれから十年、サッカー世界一をかけて戦う舞台が日本にできあがった。
スポーツ
38 望みをもちましょう 昨日と同じ今日であればと思う人も
昨日よりもっと魅力的な今日であればと願う人もいます。
問題は、その魅力的な今日ということ。
平々凡々な毎日を180度変えるようなドラスティックな24時間なのか、
平々凡々から平と凡を一つずつ取り外した平凡な24時間なのか。
魅力の量にどれだけ期待するかは人それぞれです。
モーツァルトは「望みを持ちましょう。でも多くを望みすぎないよう」と言い、
スタンダールは「恋が芽生えるにはごく少量の希望があれば十分」と説く。
そう言われれば、望みというものをあまり近視眼的にとらえず、
それこそ望洋とかまえていた方が、望外なものが得られそうな気もします。
人生訓
39 海に咲く花 鹿児島市のシンボルであり、今なお天に向かって火を噴く桜島。
その名前の由来にはいろんな説がある。
10世紀に大隅守として赴任してきた「桜島忠信」の名前にちなんだ、
あるいは神話に登場するコノハナサクヤヒメのサクヤが転じたものとか。
その中で、最もロマンティックな説は、桜島が古代に大噴火した時、
桜の花びらが海面に浮かんで海を桜色に変えたという説。
富山県のあるまちでは、チューリップの球根を作っていて、
球根を太らせるために、花の色がわかると、すぐに花びらをむしるという。
赤や白や黄色の花びらは黒部川の支流を下り富山湾に出る。
富山湾に咲いたチューリップから、どんな山が生まれるのでしょう。
自然
40 さがしものは? 外出するので、玄関のカギを取り出そうとバッグの中をさがすが、ない。
そうか、机の引出しの中だと、部屋にもどり引出しをガサゴソするが、ない。
出発の時間が迫り、気持ちが焦ってくる。
頭がカリカリしはじめ、目は血まなこになっていく。
目的は、たった一本のカギのありかなのに。
では、カギを「夢」とか「自分」ということばに置き換えてみよう。
これほど真剣に、自分の進む道や
自分そのものをさがす時間をどれけ持っているだろうか。
赤ちゃんは生まれた時に、必死で母親をさがして目に焼き付ける。
母親を見失ったら生きてはいけない、という本能がそうさせるからとか。
人間
41 カタチから入る ものごとがうまくいかない時にどうするか。
粘り強く、根気強く食い下がってみる人。
うまくいかないことをいったん停止して、気分転換をはかる人などさまざま。
そうした時の問題打開策の一つに、カタチから入るというのがある。
うまくいっている人の一挙手一投足をしかと目に焼き付け、
しゃべるスピードが心地よければ真似てみる。
使っているペンが格好良ければ、同じものを使ってみる。
まるっきり同じというわけにはいかないけれど、
全然似合っていないかもしれないけれど、
一部分を自分の中に取り込むことで、何かが見えてくるかもしれない。
暮らし
42 落書きと人生 コンピュータの導入によって、仕事のスタイルがずいぶん変わってきた。
グラフィックデザインの現場でも、カラス口で線引きなんて人は見かけない。
ラフスケッチを描かずに、直接画面に向かいマウスを操っていく。
「デザインのアイデアは、どこから生まれてくるのだろう?」
と親しいデザイナーにたずねたら、「落書きだね」と、ひと言。
メモ帳でもチラシの裏側でも何でもいいから、
ひらめいたこと、感じたことを落書きしておく。
その落書き集をパラパラめくり消去法やいいとこ取りで、仕上げていくそうだ。
グラフィックデザインの世界にとどまらず、ライフデザインにおいても、
落書きをたくさん残しておけば、人生はずっと豊かなものになるにちがいない。
人生訓
43 思いどおりに・・・ 淡路島の人形浄瑠璃は、三人遣いといって、一体の人形を三人で操る。
足遣い十年、人形の足を自由自在に遣いこなせるまで十年。
左遣い十年、人形の左側をうまくあやつることができるまで、さらに十年。
こういうふうに修業を積んで、一人前になるのに、およそ三十年。
もちろん、足遣いだけで三十年を費やす人もいるとか。
そうした根気と努力を求められる伝統芸能を守っていくために、
地元の高校生たちも稽古に励んでいる。
「いったい、どこが面白いの?」とレポーター。
「う~ん、思いどおりにいかないところ」と高校生。
「思いどおりにいかないから面白い」もの、あなたはいくつ持っていますか?
人間
44 作詞のヒント 作詞家の星野哲郎さんのエピソードである。
新宿歌舞伎町の6~7人座ればいっぱいになる飲み屋で、
ある夜、星野さんが酒を飲んでいた。
一番奥に座っていた客が、トイレに行きたくなり、
「もう我慢ができない!」と叫んだ。
奥の席の人がトイレに行くには、
途中のお客さんにいったん店の外に出てもらわなくてはならず、
尿意をもよおすと、「もう我慢ができない」と発するのが合図であった。
星野さんは、するどくその言葉をインプットし、詞を書いた。
「と~ても我慢ができなかったよ~♪」北島三郎の大ヒット「函館の人」である。
ことば
45 自分に帽子を サッカーの試合で、1人のプレーヤーが3点以上入れることを、
ハットトリックという。
これを直訳すれば「帽子、奇術」である。
ハットトリックとは、もともとクリケットで用いられていた言葉で、
投手が3人の打者を連続してアウトにすることを「トリック」といった。
奇術のようにむずかしいことをやってのけたという賞賛の言葉である。
そのお祝いとして賞品に帽子を贈ったことから
「ハット・トリック」と呼ばれるようになったのである。
どうもマンネリでメリハリのない一日だと悩んでいたら、
小さな目標を掲げ、三つ達成できたら、自分に帽子をかぶせてみては・・・
スポーツ
46 しんでん開発 江戸時代、徳川幕府や諸藩は米の増産につとめた。
年貢を米で納めるシステムであったから、
米の増産により余剰米が増え、ひいては現金収入につながっていった。
地方へ行くと、「〇〇新田」と開発の指揮をとった人の名や、
土地の名を冠した田んぼがひろがっている。
そうして拓いた先人たちの汗の結晶である田んぼが休耕田となり、
雑草が伸び放題になっているところも多い。
そんな田んぼから昨今子どもたちの明るい声が聞こえてくる。
田植え、草取り、刈り取りなど農作業を通して自然や食の大切さを
理解させる自然学校の子どもたちだ。新田ならぬ心田開発である。
人間
47 カウントダウン 「〇〇〇〇まで、あと?日」
ビッグイベントや新しい年が始まる前に見かける文言である。
10、9,8・・・とカウントダウンしていくにつれて、
人々の意識はどんどん高まり、ベクトルは一つの方向に向かっていく。
10でまだまだ、7でザワザワ、5でソワソワ、3でドキドキ。
1から0へ暗転させて、待ちに待った何かが始まるという壮大な仕掛け。
ものごとの始まりをドラマティックに演出するには格好の手段である。
目標や予定のないところにカウントダウンは生まれない。
どうも最近やる気がわかなくて・・・と落ち込んでいる時は、
カウントダウンできるイベントをこしらえてみることを考えてみてはいかが?
暮らし
48 理(すじ)を通す 先に新田開発の話を書いたが、
新田開発に欠かせないのが、治水工事である。
どうやって川のはんらんをおさえ、田んぼにうまく水を引いてくるか、
昔の人はいろんな知恵や工夫を施して工事に取組んだ。
今ならクレーンやダイナマイトなどがあるから、
大きな岩の移動や破砕も簡単だが、当時はそうはいかない。
岩を割るには、理(すじ)がわからなくてはいけないという。
どんな岩にも理が入っていて、それに沿ってノミをふるうとうまく割れる。
話や文章、いや政治や経済や社会だって、
理がなければ、混とんとして、誰にも理解できないものになる。
人間
49 名刀より愛刀 せっかく新しいグローブを買ったのに、どうしても手になじまない。
捕球しようとすると、ゴワゴワして捕りそこないそうだ。
新しい自転車を買ったけれど、ハンドルやサドルの高さがよくないのか
長く乗っていると、やけに疲れる。
というように、人が道具を使い始める時には、
どことなく違和感を覚え、手や体にうまくなじんでくれないことが多い。
じゃあ、すぐ返品して、もっと自分にフィットするものと交換
という人がいるかもしれないが、ちょっと待った!
使いこんでいくうちに体が道具に順応し、道具も輝きを増してくることがある。
どんな著名な刀匠が鍛えた名刀よりも、自慢の愛刀にかぎる。
人間
50 ギスギス感 「愛嬌がなくて、かどがあって、親しみにくいさま」
と広辞苑にあるのは「ぎすぎす」ということば。
どうも、あの人とはぎすぎすした関係で・・・などと使っている。
なるべくなら、かどが立たず、親しみのわく関係がベストなのだろうが、
利害関係や相性などで、だれとでもうまくいくというわけにはいかない。
社会はいろんな個性をもった人たちの集合なのだから、
「好き好き」の関係もあれば「ぎすぎす」の関係もある。
高校の物理の試験問題などに
「真空状態と仮定して」とか「摩擦はないものとして」といった、
計算をやさしくするために条件を付すが、そういかないのが社会である。
人間

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